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人生の最期に何を考えるか

sakuraです。

人生最期の日が近づいてくると  多くの人はこう思うらしい。

「もっと挑戦すればよかった」

あれもしたい これもしたい

と、こどものころはなんでも思ったはずだ。

 

なぜ諦めるようになったのか?

はいはいしていたころ
「あれに触りたい」
と手を伸ばしていたら

親が、 「あぶない」 といってそれを取り上げた。

 

立ち上がるころ、
テーブルにつかまって、ちょっと 遠くのものを
取ろうと手を伸ばしたら

親が 「あぶない」 といって抱っこした。

 

小学生の頃 総理大臣になりたい といったら
「そんなの無理に決まっている」 と怒られた。

 

走ってころんで怪我をしたら
「ほーら、だから走るなっていったでしょ」 と怒られた。

 

・・・・・・・・・

 

こうやって、 じつはみんな、
チャレンジをしないようにしつけられている

 

チャレンジすると痛い目にあうと
思い込まされている

 

思い込みが諦めを作る

こどものころから そんなふうに思い込まされてきて、
おとなになって もう最期の日が近いと 感じた頃に
その思い込みが 自分を縛っていたことに気づく

もっとチャレンジすればよかったと

 

こどものころの思い込みは 仕方がないかもしれない。

親に反抗したら 飯が食えん

でも、

自分で飯が食えるようになったなら、

思い込みをアンインストールした方が良い

 

新しい自分を インストールして
上書き保存してしまった方が良い

どういう自分を上書きしたいかって?

あなたは 本当のあなたは
どんなあなたになりたいと思っているのか?

そこから始めよう。

時間も

お金も

若さも

健康も

美貌も

あと

あと

恋人も

 

すべてあるとしたら

 

すべて満たされているとしたら

 

あなたはなにがしたい?

 

したいものが見つかったら実行しかない

そこで見つけたものをチャレンジしてみたら、
かりにうまくいかなかったとしても
きっと後悔はしないはず。

たとえば、好きな人に告白しようとしてできなかった。
そんなことはないかな?
sakuraはたくさんある。

あの時ちゃんと告白していれば、いまの人生はもっと変わったかもしれないし、少なくとも、告白して断られて、その人といま一緒にいなかったとしても、後悔だけはしていなかったと思う。なんとなく、心の隅に残ることはなかったと思う。

あるとき、おさな馴染みに声をかけられた。すっごい久しぶりに出会ったので、ほんと何年かぶりにあったので、思わずぶっきらぼうにつっけんどんに受け答えして帰ってしまった。そのあと、時間差で、その頃好きだったことに気づいて、思い出してしまった。

気づいて、あとから追いかけたけど、もう姿はない。

どこに住んでいるかもわからない。

もう2度と、その人とは出会えない。

その一瞬で、自分の気物を伝えなかったばかりに、もう2度と、それを伝える機会を逃してしまった。

結果がどうとかではなくて、「しなかった」ことが悔しくてたまらない。躊躇してしまったことが悔しくてたまらない。

チャレンジしよう

その時からそう決めた